湖山池一周マラソン
湖山池一周マラソンは文字通り湖山長者の伝説のある湖山池を(周囲16km)
一周する部員全員によるマラソンです。現在は11月に開催されるようですが
私の部員時代(1981〜1985年)は5月ぐらいだったと記憶してます。
思えば現在のように11月にしていてくれればあんな悲劇は起こらなかったのでは?と
過去をおもわず振り返ってしまいました。
播州赤穂の田舎から鳥取の田舎に来た18歳の青年は鳥取の地理にくわしくなるには
2ヶ月の時間は少し短かったのであります。(この話を読む上でここが重要なポイントとなります)
それは一回生の新入部員ではじめての湖山池一周マラソンに参加したときの出来事です。
もともとそんなにマラソンが速くない私は大学を出て湖山池が見えるころ
には既にうしろから数えたほうがはやいくらいの順位になっていたのでした。
中山先生には療養所のところで抜かされてしまったと思います。もう40台になっていたでしょうが
あのころは先生もお元気でした。(いまでもですか?)
マラソンも半分の距離を走ると吉岡温泉に通じる吉岡街道へとコースは続きます。
これぐらいになるともはや前を見ても後ろを見ても走っている人がいない状態になります。
一抹の不安を抱えながら時々様子を見に来る先導自転車(たしかそのときはだれか上級生が
自動車じゃなく自転車で見回ってたと思います)のひとこと掛け声にたすけられ走っていました。
しばらく走っていると橋の架かった島が見えてきました。
この島は”青島”で当時のわたしはまだその存在を知らず行ったことがなかったので
「ふ〜んこんなとこに島があるんだ」ぐらいにしか思っていなく普通だったら
「もうすぐ大学だぁ〜。マラソンは第4コーナに来たぞ」と最後の力を振り絞ることでしょう。
しかし、しかし、悲劇はこの先2~km程のところで起ったのです。
この吉岡街道から大学に向かうには少し農道を走らなくてはいけないのですが、その入り口は
少しわかりにくく、そのため先導の上級生が道案内のためその地点に立っていたのでした。
立っているはずでしたが、私が通るときに限っていなかったのでした。(この謎はこのあとに...)
知らずにわたしはなんとどんどん街道をひた走ることになります。
さて、ここで問題です。わたしはどこまでひた走ったでしょうか?
なんと!千代川!です。そうです、自分の今現在の位置を知るには千代川を
見るまではわからなかったのです。この川を見て初めて唖然として「16kmは長いな〜」
と思いながら走っていた自分がなんて間抜けだったかを思い知らされたのでした。
その後、自分のわかる9号線に出てもう走る気力もなくなり、とぼとぼとただただ大学を
目指して歩いたのでした。当然、そのころ部室まえではなかなか帰ってこない私を心配して
探していたのでしょうが、それより大変な事態で大騒ぎだったのです。その事態はわたしが
千代川まで走ることになったことと無関係ではありません。
私が千代川へ走るきっかけになった農道へのガイドさんがいなかったのは
実は、ちょうどそのとき前を走っていた(といっても見えないくらい離れてたので
後で知った)4年生の山下さん(S53入学 現参議院議員)が倒れてしまったためです。
すぐに救急車を呼んで運ばれ大事はなかったのですが、疲労と運動不足と急に16km
を走ったためのようでした。
私が9号線をとぼとぼ大学に向かって帰っているころ山下さんは病院で点滴を受けて
いたようです。
何時間かかったか覚えてないのですが、ようやく部室についたところ「どこへ
いっとった!」と上級生から怒られ、まあ無事に帰ってきたのでよかった〜
となると詳細を話してみんなから大爆笑されてしまいました。
部室前のファイヤーが準備されたころ病院から開放された山下さんも
点滴を抱え(うそ)帰ってきました。
これで長かった昭和56年の湖山池一周マラソンは終了したのです。
その後、私は”あそこに見えるは千代川”と命名され、
山下さんは”点滴男”と命名され後々まで笑い者にされたのでした。
完