米子WV 創設の思い出


S48入学でS50に米子へ行き、1年先輩のS47小田正之さんと医療短大生を

勧誘し米子WVを創設した(おおげさですね)永松清明といいます。



当時、米子には実際に山に登れるメンバーが少なかったので、

47電気佐藤光洋さんと48電気山田常夫君に

鳥大の合宿終了後に助っ人として米子の第一回夏合宿に

参加してもらい、八ヶ岳南北縦走を2パーティ編成で行いました。

なれぬ短大の1回生新人たちばかりで、伝統ある本学wvからすれば

信じられないようなハプニングの連続で 佐藤さん、山常君に

ご苦労をおかけしました。

というようないきさつがあり、ついついなつかしくなりました。



さて これを機会に 私なりに 米子の創立期のことをまとめて

みたいと思いますが、何しろ 昔のことなので 

「おじいさんの昔話聞き書き」風になっています。



小田さんや 私や 49三浦孝博くんなどは、本学wvという

男性性優位の伝統文化をモデルとして持っており、それを短大学自体も

新設されたばかりで、学校全体としてのアイデンティティーもできていない

段階の第1・2期生に移入していったので、

女性性優位の「未開文化」に接した「鳥大wv文化の伝道師」の

とまどい・いらだち・再適応といった面もあったかと思います。

この辺は、逆に第1期生からどう見えたのかとか、

あるいは米子wvとしてのアイデンティティーが

形成されてゆく過程の第1・2期生と最初から同窓生的に接触していた

50増田孝くん・51原田豊くんたちの見えかたが別にあったかと思います。



さて当時、医進のwv部員は毎年1名ずつくらいで、夏合宿PLを

目指して(?)留年しないかぎりは2年で追い出しPWで記念品をもらい、

3年目はOB的な存在として米子から本学の夏合宿に同行していました。

(私もS50年にはPL末岡至朗君の南アルプス北部パーティーに参加させて

もらいました。)

人数的にも医学部だけでは組織的な活動は困難な状態でした。

このような状況で米子wvができたのは、47小田正之さんの

驚異的な御熱意によるものと思います。

ちょうどS50年から看護専門学校が医療技術短大に移行し、

在学期間が2年から3年に延びることになったため、

「3年計画で本学wvと同様に夏合宿PLができるまでに新入生を育成できる」

という見通しを持たれて、短大生を勧誘して、女性PLで複数パーティーを

出せるような本格的wvを作ることを当初から構想しておられたようです。

私のほうは当時、単独行指向があったようで、

「ひとりで山に登っても山を楽しめ、安全に降りてこれるようになろう。」

というようなことを話していました。



46長田正之さんが長老格(お許し下さい)で、47小田さん・

47後藤さん(米子から入部)・48私が実働部隊で

勧誘・下宿回りなどしていました。

また、49三浦孝之くん・49下舞聡子さん・50増田孝くんにも

いろいろな機会に接触をもってもらいました。

特に49下舞さんには「お姉さん的立場」で、我々男連中には

わからぬ点をサポートしてもらい、ありがたかったです。

小田さんの勧誘の殺し文句は「金がかからず日本中を旅行できる。」

という詐欺まがいのセリフで「重い荷物」があることは内緒でした。

第1期生は短大の募集時期が他大学よりも遅かったせいか、

ユニークな性格や変わった経歴の人物も多々入学していて、

「これで大丈夫? 」ととまどう反面、非常におもしろかったです。

2期生からは「まともな人」がまともに入ってきていたようです。

オレンジのユニフォーム・横長の特大キスリングをおそろいでそろえ、

テント・鍋・ホーエブス等団体装備も2パーティー分そろえ

(あの費用はいったいどのように調達したのでしょか??)、

当然部室もないので広い部屋の部員宅に収納してもらい、

月・水・金の練習日は図書館前に集合して米子城を周回したり・登ったり、

雨の日は基礎校舎を人間ボッカでのぼっていました。



たしかプレ合宿を蒜山山系で行い?(記憶に自信なし)、

本学wvの夏合宿終了後に47佐藤光洋さん・48山田常夫くんの

助っ人参加を得て、永見・吉村・阪本・太田・神谷の5人の

第1期生で八ヶ岳南北縦走夏合宿を8月7日〜8月13日(山中5泊)

で行いました。

永見・吉村はたぶんどこのwv部に入っても通用するくらい

非常にタフでしたが、阪本・太田・神谷は

「(小田さんの甘い言葉に)だまされた」と思い、

「(あそこが頂上だと思ってもまだまだ先があり、

小田さんばかりでなく)山も信じられなくなった。」等の迷言を残し、

最終日に白樺湖畔にたどりつき、キャピキャピしたお洒落な女子大生を

見てチョームカツイテいました。



しかし、夏合宿を終えると部員同士のまとまりができ、

山陰合wvで他大wv部員と交流し楽しい登山も味わい、紅葉の大山を巡り、

冬場のトレーニングも続け、祖母・傾・阿蘇の春合宿で

初年度が終了するころには、第2期生を迎えるための準備に積極的に

とり組むようになり、新人練成合宿の下見にキリン峠を登ったりできる

ようになっていました。



49三浦・下舞が加わり、2パーティーで2泊3日の新人練成合宿を行い、

夏合宿は分散形式で行うことになり、私は念願の南アルプス南部縦走へ

出ました。

この時にはまだ2年生SLだけでは心細く、本学から48電気井田哲二くんに

来てもらい、

PL私・SL50看護坂本・51看護金田・51看護福島・助っ人井田の5人で、

台風も通過した中を山中7泊の三伏峠ー聖平の合宿を無事終了して

WV部の基礎固めの一つの目標点をクリアできたと思え、ほっとしたものでした。

このとき塩川小屋で44池田孝雄先輩にお会いして、

励まされている写真が残っています。



翌年にはようやく本学からの助っ人なしに純米子人だけで三伏峠ー茶臼岳の

縦走ができるようになりましたが、それまでの本学のみなさんのご援助には

あらためて感謝です。



というような感じでダラダラと思い出がでてきますが、

今回はこのほっとしたところまでにしておきます。

では また。おじいさんの記憶が戻ったら次のお話を。